雑草抜きは〇〇抜き
こんにちは。
先日主人と畑に生えてきた雑草を抜き
太ももが筋肉痛🦵です。。
一気に暖かくなったので
雑草も勢いよく成長を始めております。
雑草抜きを終え、
主人がひとこと。
あ〜
煩悩抜き出来たわ!
と。
これは私たちの心にむくむくと沸き起こる煩悩・妄想を、田畑に生えるいくら取ってもまた出てくる雑草にたとえて、その雑草を抜き、人間本来の生き方に戻すということ。
よく見ると「思う」という字にも、田んぼがあります。私たちはたしかに、心に思うことで心の田んぼに草を生やしてしまっているようです。
草を取るための道具として古来より鎌があります。地面の草を鎌で根こそぎ取るように、心の煩悩の草を鎌の刃で取る。
刃の心と書いて“忍”です。
忍は単に、たえしのぶことではなく、言偏(ごんべん)をつけると“認”となるように、認めていく、受け入れていくということです。
それが刃の心で、自ずと心の草が取れていくということになります。
ノートルダム清心学園理事長を勤められた渡辺和子さんの言葉に
もし あなたが 誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに むしろ
あなたから ほほえんでごらんなさい
実際 ほほえみを忘れた人ほど
あなたからのそれを
必要としている人はいないのだから
というものがあります。
他人に無愛想にされるとき自分の機嫌も悪くなる、誰でも心当たりのあることだと思いますが、そんなときどうしますか?
それは、自分の心に生えた不愉快という草を根っこから取るしかありません。
不愉快という草を、こちらから微笑むということで転換していく、そうして自分も活かし、周りも活かしていく。
草の生えていない田んぼはそれを見るだけで清々しい気持ちになります。
それと同じく、本当に自分の心の草取りをしている人を見るならば、その人の顔や姿を見ただけで救われていくのだと思います。
私もそんな心の草取りのできる人になれるよう日々勤めたいものです。
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